押し入れに、辞めた仕事に関する書類がたくさんあります。
後でまとめようと思って、まとめていないメモ。
いつか役に立つだろうから目を通しておこうと思って、見ていない資料。
将来のために勉強しようと買って、使っていない教材。
いろんな”やるべきこと”が積み上がった紙の塔ができています。
仕事を辞めたとき、ここに隠しました。
なんだか、当時の自分がそこにいるように感じます。
中途半端な自分をひっぱり出すように、押し入れから書類の山をひっぱり出しました。
塔の一番上の紙を手にとり、読みました。
当時、何もかもを捧げるように取り組んでいたことが嘘のように、全く興味が湧きませんでした。
あの日々は、一体何だったのだろう。
渦中の中にいた頃の自分と、振り返っている今の自分が、別人のように思えます。
手にした紙を塔に戻し、ベッドにゴロンと横たわりました。
……眠たい。片付けが済んだ世界にワープしたい。
ウトウトしていると、ふと、須藤元気さんの著書『神はテーブルクロス』の一節を思い出しました。
須藤さんは、カフェで本のタイトルを考えていらっしゃった。
『神はテーブルクロス』にしようと思うけどいいですか?と、心の中で神秘的な何かに問いかけると、お茶を溢してしまった。
店員さんにお茶を溢したことを伝えて謝ると、笑顔で「テーブルクロスは紙なので大丈夫です」と言われた。
須藤さんはハッとして、店員さんを通して、このタイトルで良いよというアンサーをもらったと思った、という内容でした。
紙は神なのかもしれない。
トイレにはトイレの神様が宿り、山には山の神様が宿るなら、紙にも紙の神様が宿るのかもしれない。
埃だらけのまま放置している紙は、さぞ居心地が悪いだろうと思い、チラと目だけで書類の山を見ました。
やっぱり嫌な気持ちになるな、と再確認したところで、目を閉じました。
尿意とともに目覚め、トイレに行く時に目の端に書類の山がチラと映りました。
嫌な気持ちでトイレを済ませ、書類の前に仁王立ちしました。
こいつは確実にドヨーンしている。
さっきから目が合うたびに嫌な気持ちになるのです。
これがあのドヨーン状態なのですね?心の中で何かに問いかけ、数分待ちました。
何も起こらないので、一旦コーヒーを入れ、何かを待ちました。
書類を見ながら、ため息とともにコーヒーを飲み干しました。
コーヒーは溢れなかった。
もう全部まとめて捨てよう。
1つ1つ手に取って確認するのがしんどいのです。
無心でシュレッダーにかけ続けました。
ゴミ袋2つ分の粉々になった紙を持ち、ゴミ捨て場に向かいました。
ふと、紙に神様が宿っていたとしたら、シュレッダーにかけられた神様はどうなっちゃったんだろう……という不安が頭をよぎりました。
少し広くなった床に掃除機をかけ、換気のために窓を全開にしました。
……寒い。
窓を1/3まで閉め、部屋を見渡しました。
書類がなくなった場所を見ると、なんとなく晴れやかな気分になりました。

